ビニ本、裏本の記事が好評を頂いているこの時を逃すまいと(笑)、調子に乗って、洋ピン雑誌を紹介してみようと思います。
PLAYBOY、PLAYGIRL、PENTHOUSE・・・等々、多くのアダルト雑誌が発刊されていますが、ここで紹介するのはHUSTLER誌です。
概ね、1970年代から1999年頃まで用意できました。
一般的なエロ本とは違い、時代の出来事や世相が大きく反映されているので、ジックリと読んでみるのも面白いと思います。
※2024/01/05・・・手持ち分をUP完了しました!
HUSTLER誌は、Larry Flynt(ラリー・フリント)が創始したアダルト雑誌である。
第1号の創刊は1974年7月。これは彼の経営するストリップクラブの安価な宣伝媒体であった『ハスラー・ニュースレター』と『ハスラー・フォー・トゥデイズ・マン』を発展させたものであった。
雑誌は不安定なスタートからピーク時にはおよそ300万部にまで部数を伸ばした。(現在の部数は50万部以下である。)[Wiki情報]
PLAYBOY誌等に比べ、非常に露骨に女性器を掲載することにより、1970年代前半にあったタブーを打ち破った最初のメジャーな男性誌の一つだった。
現在でも『HUSTLER』は『PLAYBOY』誌や『PENTHOUSE』誌のような有名なライバル誌より性的に大胆であるとみられている。
HUSTLERは、しばしばハードコアテーマ(例えば大人の玩具の使用、性器挿入、オーラル・セックス、グループセックス)を扱っている。
その為、幾度となく裁判沙汰になり、1978年3月6日、異人種間セックスに反対する(と主張していた)男 Joseph Paul Franklin にライフルで撃たれてしまう。
彼は、命を失うことはなかったが、下半身不随になってしまう。
尚、Joseph Paul Franklinは、1977年から80年にかけて20人を殺害したシリアルキラーであり、筋金入りのレイシストである。(彼自身は1980年に逮捕され、2013年11月20に死刑執行された)
Larry Flyntの生きざまは、映画『ラリー・フリント』を観たほうが解りやすい。
※Hustler 1974-08 (創刊2号) |
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価格は$1.25。当時の日本円に換算すると約450円相当である。 | ||
Hustler_1974-08.zip (69.7 MB) | ||
※Hustler 1974-09 | ||
Hustler_1974-09.zip (84.52 MB) | ||
※Hustler 1974-10 | ||
Hustler_1974-10.zip (87.07 MB) | ||
※Hustler 1974-11 | ||
Hustler_1974-11.zip (92.7 MB) | ||
※Hustler 1974-12 | ||
$1.75に値上がった。 | ||
Hustler_1974-12.zip (94.92 MB) | ||
※Hustler 1975-01 | ||
Hustler_1975-01.zip (92.82 MB) | ||
※Hustler 1975-02 | ||
Hustler_1975-02.zip (99 MB) | ||
※Hustler 1975-04 | ||
$1.50に値下がった! | ||
Hustler_1975-04.zip (32.81 MB) | ||
※Hustler 1975-05 | ||
Hustler_1975-05.zip (100.1 MB) | ||
※Hustler 1975-07 | ||
$1.75に値上がり。創始者ラリー・フリントのインタビュー。 | ||
Hustler_1975-07.zip (96.76 MB) | ||
※Hustler 1975-08 | ||
本号は、世界中にセンセーションを巻き起こした一冊。HUSTLERの売り上げが爆発的に増加した。 てか、Jacqueline Kennedy Onassisと言えば、元J.F.K.の奥方。JFK暗殺の最も近くにいた人の一人であり、事の真相をある程度知っていたと思われる。 子供の安全を第一に考えていた彼女だが、1968年にJFKの弟であるRFKが暗殺されるにいたり、安全を金で買うように大富豪であるアリストテレス・オナシスと再婚した。 オナシスは元ファーストレディーを我が物にした満足感に浸り、愛情があふれる夫婦なら良かったが、その実は金とカラダだけの関係であったという。 本号掲載の彼女のヌードは、パパラッチが1971年にギリシャの島でジャクリーン(当時41歳)の裸を盗撮したもので、ラリー・フリントがその写真を買い取り、『10億ドルの茂み』のタイトルで発表したものである。 1975年3月にオナシス氏がパリで死去した際、彼女ははそこに立ちあうことなく、遠く離れたニューヨークで暮らしていた。 1994年1月、ジャクリーンは自分が非ホジキンリンパ腫に罹患したことを知った。 短い闘病生活の間に病は急速に進行し、5月19日彼女は64歳で世を去った。 そして、皮肉なことに、彼女の亡骸はアーリントン国立墓地で夫JFKの隣に葬られた。 その隣にはジャクリーンの二人の子どもたち、アラベラとパトリックも眠っている。 |
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Hustler_1975-08.zip (101.27 MB) | ||
※Hustler 1975-10 | ||
Hustler_1975-10.zip (93.78 MB) | ||
※Hustler 1975-12 | ||
価格は$2.25になった。値上げのイイワケをページを割いて説明している。 | ||
Hustler_1975-12.zip (91.59 MB) |
ポルノ王ラリー・フリント、伝説的な人ですよね。
ライバルで正統派のヒュー・ヘフナーのプレイボーイ誌に対抗して下世話でセンセーショナルな内容を売りにしてたけど黒人女性のヌードを掲載した事で白人至上主義のKKKに目の敵にされ、狙撃されて下半身麻痺になって人生の後半は車椅子で過ごしたんですよね。
目的が純粋な金儲けであってもこういう人には凄く魅力を感じます。