「Santa Fe」(1991年・1999年) | 「water fruit 篠山紀信+樋口可南子 accidents 1 不測の事態」(1991年) | 秋本奈緒美 – 「NAOMI IN SAN FRANCISCO」(1983年、撮影・小杉修造) |
たまには写真集を紹介するのも好いかもな!と思い、手持ちのヘアヌード写真集を整理していましたところ、ちょい懐かしの写真集・画像集が沢山出て来ましたので紹介してみます。
取りあえずは、昭和時代から紀元2000年頃までの作品を取り上げてみます。
※出版年代順に並べようと思ったが、面倒なので(笑)止めました。
3~4冊を1つのDLファイルに纏めています。写真集にはページ抜けがあります。その部分は、ご自分で補完しておくれやす。(笑)
※NORIKO(浜田のり子) – 「BITE IT!」(1995年12月、ぶんか社) Noriko Hamada | |||
現・濱田のり子。昭和40(1965)年2月22日生まれ。身長158cm。元セイントフォーのメンバー。 億の金を掛けて売り出したが、思うように行かず頓挫=>借金を取り返す為にカラダをウラされていた!・・・等という根も葉もない悪いウワサが流れていた。 1994年に女優に転向。グラビアやVシネマにて活動。セクシー路線に舵を切った。2001年に結婚。2018年よりセイントフォーの再始動メンバーとしても活動している。 80年代のアイドルは高品質で長持ちする!そう思わせる一人。 |
|||
※浜田のり子 – 「nipple」(1996年12月、英知出版) Noriko Hamada | |||
タイトル通り、たわわなオッパイと乳首を惜しげもなく披露している。エロ度が上がった。 | |||
※佳那晃子 – 「幻想」(1994年、風雅書房) Akiko Kana | |||
佳那晃子さん、昭和31(1956)年3月8日生まれ。身長158cm。 彼女との出会いは、高校時代に観に行った映画『ザ・ウーマン(1980年)』である。翌年上映された『魔界転生'(細川ガラシャ役)』も観に行った為、我が輩の頭の中で佳那晃子=お色気女優とインプットされてしまったんだよね。 1990年に結婚するが、バブル崩壊、夫の経営する会社のトラブルに起因する多額の借金を背負う。 返済のために倹約生活を送ることになったが、もともと堅実な金銭感覚の持ち主だったため、返済は着実に進んでいった。 テレビドラマでは2時間ドラマをメインに出演し、1994年にはヘアヌード写真集『幻想』(本作)を発売。これも借金返済の足しにするという目的だった。 2013年1月10日、自宅でクモ膜下出血のため倒れて意識不明状態となり、病院に搬送された。医師からは病状が最も重い「重度5」であり、脳死もしくは植物状態であると診断されたが、蘇生措置により回復、その後の治療の結果、8月には問いかけに手足の動きや瞬きなどで反応できるまでになった]。 同年12月1日、夫を中心に西田和昭を始めとする有志による佳那晃子オフィシャルサイト「佳那晃子が病院から歩いて帰って来るまでのサイト(すでに閉鎖)」が公開された。同サイトの源高志によるブログには、佳那晃子が倒れた2013年1月10日からの内容と、2013年12月1日からの内容が併記する形で、毎日更新されていた(同じく閉鎖)。 |
|||
※岩下志麻 – 「時の彼方へ」(1992年2月、大陸書房) Shima Iwashita | |||
岩下志麻さん、昭和16(1941)年1月3日、東京市京橋区銀座生まれ。当時の女優としては長身で165cmあった。細身のカラダ付きで体重は48Kgしかない。 志麻姐さんと言えば、『極妻』の印象があまりにも強いが、彼女のデビュー直後の作品、『笛吹川』や『切腹』からは想像できない変貌ぶりだ。 木下恵介、野村芳太郎ら名監督の作品で演技力を磨かれ、女優として完成の域に達した後、極妻シリーズにてブレイクした。 本写真集は、その頃の作品だが、長年起用されていた日本メナード化粧品のCMっぽい印象が強い。 |
|||
PhotoBook_001.zip (87.13 MB) |
※久野真紀子 – 「蜜」(1994年7月、平地勲撮影、スコラ) Makiko Kuno | |||
久野真紀子、現・クノ真季子。昭和42(1967)年2月21日生まれ、群馬県前橋市出身。身長164cm、B84cm、W59cm、H85cm、体重48Kg。 高校卒業後、モデルデビュー、1987年に女優デビューした。1988年から1994年までキヨスクのイメージガールを務めていた。 |
|||
※宮崎ますみ – 「XX Holy body」(1993年12月、勁文社) Masumi Miyazaki | |||
宮崎ますみ、現・宮崎萬純。昭和43(1968)年1月26日生まれ、名古屋市出身。 1983年、大林宣彦監督作品『アイコ16歳』で芸能界デビュー。本映画は、出演の高校生役はすべてオーディションで選ばれ、主演のアイコ役は127,000人の応募者の中から中学3年生の富田靖子(当時は冨田靖子)が選ばれた事が有名。また、松下由樹(当時は松下幸枝)ちゃんのデビュー作品でもある。 おそらくはアイコの同級生役で出演していたのだろうがよ~く観ても判らんかった(笑)。 これよりも、宮崎を有名にしたのは『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズである。1985~1988年にかけて6作品作られた。 その後、90年代に入ると、容姿を活かしたセクシー路線に舵を切り?『夢二(1991年)』、新極道の妻たち(1994年)』、『屋根裏の散歩者(1994年)』に出演。 本写真集では、グラマーな肢体を惜しげもなく披露している。 1994年、結婚して渡米。95、97年に男の子を出産。2005年に芸能活動を再開するが乳がんであることを告白。健康を気遣う生活をしているという。 2007年に離婚した。 |
|||
※宮沢りえ – 「Santa Fe」(1991年・1999年) Rie Miyazawa | |||
宮沢りえ、昭和48(1973)年4月6日生まれ、東京都練馬区出身。身長167cm、オランダ人の父を持つハーフ。 11歳の頃からモデルとして仕事を始め、1987年の三井のリハウスのCMで大ブレークした。母親がやり手のステージママ。1988年の『ぼくらの7日間戦争』では女優デビューを主演で飾り、同作品により日本アカデミー賞新人賞を受賞した。当時から実力以上に人気が先行していて・・・これは我が国の芸能界・スポーツ界などに蔓延る悪しき因習であるが・・・役者としては非常に損な環境で活動せざるを得なかった。女優業以外のスキャンダラスな話題で騒がれつつ一時期は芸能活動休止状態となった。 2002年の邦画『たそがれ清兵衛』で女優として一皮剥けた演技を魅せた。 さて、この超有名な写真集は篠山紀信氏によって撮影された。アメリカ最古の教会がある町サンタフェで撮影。撮影時に宮沢が17歳であったことが、児童ポルノ違反にあたるとして、何年も経てから問題となった。150万部以上も売れた作品を今更ながら事後法で裁いてどうしようってんだ! 因みに、私個人は宮沢には全く興味がなかったので醒めた目線で社会を眺めることができた。実のところは、鈴木京香のボインに夢中だったのよね~(笑)。 さて、本写真集は、1999年に『NEW EDITION』が出版されている。おそらく、こちらの方がカット数が多いと思う。 2バージョン、用意したので是非見比べてみてね! |
|||
PhotoBook_002.zip (245.84 MB) |
|||
※原田楊子 – 「マドンナメイト写真集」(1987年、マドンナ社) Yoko Harada | |||
原田楊子、昭和42(1967)年4月15日生まれ、青森県出身。身長164cm、B80cm、W58cm、H84cm。 80年代中盤に活動していたアイドルかと思って、ここにアップしたが・・・AV女優さんだったのね! Wikiに因れば、1986年に宇宙企画より『封印された青春』でデビューとある。で、翌年には引退したと思われる。 クビレのあるウエスト、好い形のオッパイ。いいんじゃないでしょうか~。 |
|||
※原田楊子 – 「頬染めて」(英知出版) Yoko Harada | |||
上の作品に比べて、随分とアク抜けた感がある。 | |||
PhotoBook_003.zip (266.29 MB) |
第1日目は、ここまでにしておきます。