田口ゆかり Hot babe – Yukari Taguchi 5 (1)

サムライの娘 将軍 家光 エアポートの女
旅愁 黒い菊 SMアナル一直線
ザ・キモノ 忘れな草(1984年)

今更ながら田口ゆかりさんの作品をご紹介。
田口ゆかり:1959年3月18日、東京都大田区羽田の海老取川の船上生活者の家庭に生まれる。
物心つく前に母親が家出、3歳の時、父が事故死、生活保護を受けながら祖母と少女時代を過ごす。14歳でキャバレーで働き、学校にもほとんど行かず不良の仲間入りをしてシンナー、売春などで中学三年の時、群馬県榛名の女子少年院に一年半入る。院内で中学の卒業資格を取る。

1980年8月にサラリーマンと結婚。世田谷でパートをしながら主婦としての生活を送っていたが、昔の仲間からビニ本のモデルをやらないかと誘われ出演、たちまち人気が出る。その後、AV、裏ビデオ、裏本、ノーパン喫茶、のぞき部屋等で働き始める。当時、裏本の帝王といわれた村西とおるも田口ゆかりを撮影しており、そのモデル意識に脱帽していた。この頃、ミスヌードコンテストで審査員特別賞を受賞している。
1981年5月、ビニ本の『セーラー服の聖女』に出演したため碑文谷署からわいせつ図画販売の幇助の容疑で出頭命令を受ける。
1983年、映画『華魁』(おいらん)(1983年、富士映画)の準主役に抜擢されるが、ビニ本、裏本に多数出演したことに対して神奈川県警が動き始めたとの理由で降板させられる。表向きの理由は撮影前に海外へ遊びに行き、陽に焼きすぎたので役柄にふさわしくないからということであった。
1984年12月、金使いの粗さから借金が膨らみ、友人に誘われて佐賀県藤津郡の嬉野温泉のソープランドで働きながら地元の観光秘宝館でサインなどを売ったりして働き始める。
以上が、裏ビデオに出演するまでの略歴である。[Wiki情報]

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