まだまだ暑い日が続きますが、暦の上では既に秋なのですよ~。
秋の夜長は、99bb.com作品でお過ごし下さい!
※2024/11/03・・・作品追加しました!
田口ゆかり 再び!
本記事では、ビニ本/裏本の女王と呼ばれたゆかり氏の作品を振り返ってみたいと思います。
先ず、ビニ本と裏本の定義とは何ぞや!?という疑問もある。
本サイトに置いては・・・
①ビニ本、裏本両者に共通するのは、52ページ或いは60ページ程度の薄い本でサイズはA4。
②ビニ本は、局部が直接見えないようにベール/ビニール越しに撮影されている。
③ビニ本には、本来は裏本として発刊されたモノに墨を入れて再刊された作品が多い。
④1シーンでも直接に局部や接合部が映っていれば、それは裏本である。
⑤ここでは、その他自動販売機本などもビニ本の仲間とする。
以上のルールによって分別しています。
サムライの娘 | 将軍 家光 | エアポートの女 |
旅愁 | 黒い菊 | SMアナル一直線 |
ザ・キモノ | 忘れな草(1984年) |
今更ながら田口ゆかりさんの作品をご紹介。
田口ゆかり:1959年3月18日、東京都大田区羽田の海老取川の船上生活者の家庭に生まれる。
物心つく前に母親が家出、3歳の時、父が事故死、生活保護を受けながら祖母と少女時代を過ごす。14歳でキャバレーで働き、学校にもほとんど行かず不良の仲間入りをしてシンナー、売春などで中学三年の時、群馬県榛名の女子少年院に一年半入る。院内で中学の卒業資格を取る。
1980年8月にサラリーマンと結婚。世田谷でパートをしながら主婦としての生活を送っていたが、昔の仲間からビニ本のモデルをやらないかと誘われ出演、たちまち人気が出る。その後、AV、裏ビデオ、裏本、ノーパン喫茶、のぞき部屋等で働き始める。当時、裏本の帝王といわれた村西とおるも田口ゆかりを撮影しており、そのモデル意識に脱帽していた。この頃、ミスヌードコンテストで審査員特別賞を受賞している。
1981年5月、ビニ本の『セーラー服の聖女』に出演したため碑文谷署からわいせつ図画販売の幇助の容疑で出頭命令を受ける。
1983年、映画『華魁』(おいらん)(1983年、富士映画)の準主役に抜擢されるが、ビニ本、裏本に多数出演したことに対して神奈川県警が動き始めたとの理由で降板させられる。表向きの理由は撮影前に海外へ遊びに行き、陽に焼きすぎたので役柄にふさわしくないからということであった。
1984年12月、金使いの粗さから借金が膨らみ、友人に誘われて佐賀県藤津郡の嬉野温泉のソープランドで働きながら地元の観光秘宝館でサインなどを売ったりして働き始める。
以上が、裏ビデオに出演するまでの略歴である。[Wiki情報]
SMショー | 引退記念公演 | 葵マリー 浣腸アナル責め |
葵マリのSM日記 洋子の場合 | SM 陰門女教師 中村久美子 | SMアナル一直線 |
裏ビデオ紹介10月号です。
今回紹介するのは、知る人ぞ知る『赤坂ブルーシャトーもの』です。
赤坂ブルーシャトーとは、昭和55年(1980)年、葵マリにより赤坂2丁目に作られたSMクラブ。社長は、葵マリの夫である酒井氏。
週に1回程度SMショーを開催し長田英吉等が出演。後の松川ナミが在籍。87年11月に閉店した。(SM wikiより)
あまり詳しくはないが、初代の葵マリ氏が若い女の子達を調教していく、或いはショー的なモノを魅せる作品になっている。
今更だが、既に紹介している作品の中にもブルーシャトーものはある。
ここでは、ショー的なモノ3作品と調教日記風のモノ。
そして、関連作品を2つ紹介する。